はじめに
人生は予め決まっていて、特別なイベントや出会いなんかを「運命」と考える人も多いと思います。
これは証明しようが無いので、「運命」や「人生は決まっている」ということに対しては肯定も否定も出来ないというのが早速の結論になってしまいます。
ですが、人生の中で起きる数々のイベントを「運命」だと片付けるのは危険だと感じています。
どういうことか、少し掘り下げて考えていきましょう。
「運命の人」
例えば、恋人が出来たときに「あぁ、運命の人だ」なんて思ったことはないでしょうか。
私はあります(笑)。
特に結婚を考える時に「この人と結婚する運命だったんだ」と、結構な人が思うんではないでしょうか。
しかし、これは勘違いかもしれません。
「この人と結婚する運命」だったのではなく、「結婚を考える年齢や精神状態の時にたまたま出会った(付き合った)人と結婚した」だけかもしれません。
これにドキっとしたのであれば、それは少なくとも「運命」ではないでしょう。
そうなると、もしかしたら「運命の人」という言葉は、”私はこの人と結婚すべきだ”と自分自身を信じ込ませて妥協してるだけかもしれませんね。
妥協というのは少し嫌な言い方ですが、男女問わず周りの友達の話を聞くと結構な割合で「もう少し慎重になれば良かった」と聞こえてきたりこなかったり・・・(笑)
「運命の人」で相手の嫌なところも全て飲み込んで妥協してしまうのは危険ですよ・・・。
「こうなる運命だった」
他人や環境に100%依存してしまうような出来事であれば「こうなる運命だった」と、そう思ってもしょうがないかと思います。
それは自分ではコントロール出来ないことだからです。
例えば「親は選べない」といった言葉のように、どの家庭に産まれるかなんて選べるわけがありません。確かにどうしようもないことです。
でもそこで「不幸な人生を歩む運命だ」と思い込んでしまうと、それはただ「諦めてるだけ」だと思います。
私は「これは運命だ」という言葉はネガティブにしか捉えられないんですよ。
「運命」であればそれは基本的に変えられないということです。
そんな変えられない「運命に支配された人生」はとてもつまらないものに思えてきませんか?
仮に「運命」というのが存在するとしても、我々は”運命の主であるべき”なのです。
仮に宜しくない家庭に産まれたとしても、今からの人生は自分で決めるんです。
自分で運命を決めていくんです。
決して「運命だから」と諦めてはいけません。自分の未来は自分で決めるんです。
「運命」という概念を排除してみよう
では次に、「運命」というものは存在しないと仮定してみましょう。
そうすると、人生は自分次第でどんな形にもなると考えられます。
無論、産まれ持った才能は存在します。
しかし、怠けて何もしなければそういう人生を歩むし、一生懸命正しい方向で努力し続ければ明るい人生を掴む可能性は高いでしょう。
そう考えると「運命」という概念を排除した方が、人は前向きに努力出来るんではないでしょうか。
私は少なくとも前向きな人生を送りたいです。
さいごに
「運命」について偉そうに語ってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
私は元来、何かに支配されるのが嫌な性格でして、このような考えてに至ってしまいました。
なので、占いは一切やりません。
私は、占いで自分の人生決められてたまるか!っていう考えをする人です。
※占いを否定しているわけではありません。
「運命」などと自分でコントロール出来ない人生を送るより、自分で決めて突き進む人生の方が100倍楽しく生きられると私は確信しています。
私の人生の主人公は”私”なのですから。
さぁ、今日も”自分の人生”を歩みましょう。